I took an interview for a French independent magazine “le journal de bord” that is edited by Monsieur Rey MMav who lives in Paris.
パリ在住のRey MMav氏が主宰するインディペント雑誌”le journal de bord”のインタビューを受けました。
※リンク先は英語インタビューです。
> Making conversation with Iwamura Ryuta
以下、日本語訳ですが、それほど英語ができない日本人が、フランス人に向けて書いた英語のセンテンスを日本語に自身で訳す、という複雑怪奇なプロセスでできた文章なので、妙です。
「会話、議論は母国語で行わない限り、必ず人は取り繕う」という話を聞いた記憶があるのですが、そんな卑しい自己理想化が免れない文章を、ママ掲載しています。
色々なんかごめんなさい。
Q1. あなたのプロフィールを簡単に教えていただけませんか? (例えば、あなたは独学で音楽を学んだのか、それとも音楽大学で学んだのか、など)
A.
私は今、東京に住んでいますが、新潟という日本海に面した港町の出身です。
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ピアノがある家に生まれる事ができたのは、奇跡であり、幸運でした。
私がまだ赤ん坊の頃に、もうこのピアノに惹きつけられたからです。
それは本能的な衝動だったと言ってもいいと思います。
5歳から我流で作曲をはじめ、11歳まで近所のピアノ教室に通いました。
先生はいい曲を与えてくれたと思います。
例えば、カバレフスキーやイベール、三善晃の子供向けの作品。
これらは複雑なコードや、なにか暗い響きを持った音楽でした。
私は子供が”単純さ”や”明快さ”を好む、という考えは違うと思います。
その頃に、私の音楽の好みはある程度決まりました。
音楽大学へは進みませんでした。
大学の文芸学部で音楽美学と音楽の歴史を学びました。
なので作曲は独学です。
今は仕事をしながら音楽活動を続けています。
残念ですが音楽とは全く関係のない仕事です。
Q2. 東京という街で音楽家である、というのはどういう事でしょうか?
A.
東京には日本の人口の約10%が集中しています。また世界中からこの都市に人々が集まります。
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と言うよりも、そうである事を願っています。
私はそれほど社交的な人間ではないのですが、
様々な価値観、才能や能力を持った人々のエネルギーを感じて生きる事が好きです。
それは音楽を作るモチベーションにもなります。
インターネットの発達で、東京に住むという意味は以前に比べると薄れてはいますが、
私は当面東京に住み続けると思います。
Q3. あなたの一番最初の音楽体験はどんなものですか?
A.
母親の背中で聴いた、彼女が歌う子守唄を覚えています。
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その旋律は西洋音楽の影響を全く受けていない、5音音階でできていました。
明るい旋律ではありません。暗く、憂鬱な旋律でした。
私は悲しくなりました。
それが私の音楽のルーツのひとつだと思います。
Q4. ピアノの何があなたを惹きつけますか?
A.
ピアノには88個の鍵盤があり、オーケストラのように広い音域があります。
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これをひとりのプレイヤーで実現できる、というのは素晴らしいです。
また、ピアノは平均律の制限の下、様々なジャンルの音楽を再現する事ができます。
要は、ピアノという楽器には幅広い表現力があるという事です。
それが一番のピアノの魅力ですね。
Q5. ピアノをより良く弾くために理解した事、弾き方を変えた事などはありますか?
A.
重力を利用すること。
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Q6. ピアノ以外の楽器は演奏しますか?
A.
小学生の時、音楽の先生が学校に一台だけあったコントラバスを、私に教えてくれました。
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残念な事に、これらの楽器の演奏の仕方を完全に忘れてしまいました。
Q7. “The bird has gone”のようは素晴らしい曲ができる過程を教えていただけませんか?
A.
作曲をする時、様々な事からインスピレーションを得るので、その過程を説明するのは難しいです。
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それは東京の玩具店で買った、”バード ソング カレンダー”という鳥の鳴き声が出るおもちゃの音でした。
私は楽器から発せられる音だけではなく、私たちを取り囲む様々な音に興味があります。
このおもちゃの鳥の鳴き声は、私にある旋律、和音を想起させました。
私は心の奥底で生じるこの響きを注意深く聞きました。
そして、この響きを鳥の声とどう結びつけようか熟考し、ピアノに向かって楽譜を書き始めました。
この曲のオリジナルはピアノとアコーディオンのための音楽でした。
アルバム”Tokyo Reminder”にはストリングスバージョンが収録されています。
アレンジは世界的に活躍されているプレイヤー、アレンジャーのOliver Kraus氏によるものです。
この共作をぜひ聴いていただきたいです。
Q7. Monday / Sunday Impressionについてはどうでしょう? オリジナルのコンセプトはどういったものでしょうか?
A.
4、5年前の冬だったと思います。
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それは、音符で書かれた日記や走り書きのようなものになり、作曲のよい訓練にもなるだろうと思いました。
日曜日と月曜日が来るたびに、ピアノ音楽を1つずつ書き続けた結果、トータル24曲のピアノ小品が生まれました。
それらの音楽は、その時節に私の心にやって来た、24の旋律の記録、と言えるかもしれません。
“Sunday Impression”に関しては、毎週日曜日に作品をFacabookに公開しました。
友人や私の知らない誰かに、音楽を使って控えめに”Hello”を言いたかったのだと思います。
1曲ずつ、半音階上にこんな感じに調を変えて作曲しました。
C → C♯ → D → E♭ → E → F → F♯…..
“Monday Impression”の各曲は”Sunday Impression”の平行調を使って書かれています。
この2つの組曲は対を成します。
結果、長短全24調を使ったピアノ組曲を、24週かけて制作した、という事になりますね。
このプロセスは、バッハの平均律クラヴィーア集にインスパイアされました。
Q8. ステージに立つのはどんな感じがしますか? 緊張しますか?
A.
私はライブ活動を積極的には行っていません。
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それは国際的なピアノのライブイベントで、Peter Broderickや、A Winged Victory
For The Sullen、Lubomyr Melnykなど、多くの才能ある音楽家たちが参加していました。
なので私は緊張しました。
しかし、たくさんの観客の顔をステージ袖から見た時、不思議な事なのですが、気が楽になり、リラックスしました。
私はその時こんな事を思ったのを覚えています。
ベストの演奏で彼らの期待に応えよう。きっとそれができるだろう、と。
Q9. あなたがこれまで行ったコンサートで好きなものがあれば教えてください。
A.
ライブにはそれほど多く行きませんが、ここ数年、日本の伝統音楽のコンサートに行くのが好きです。
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私は西洋の音楽以外で、自分の音楽のルーツを探しているのだと思います。
Q10. 音楽を制作する過程で、苦しみを背負う必要があると思いますか?
A.
私が作曲をする姿、何時間もピアノの前に座り、大きなため息をついている姿は、
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そうではなく、私はただ作曲に没頭しているだけです。
何かに没頭する事と、苦しむ事、これは根本的に違いますよね。
もしあなたが苦しみを感じているならば、あなたのやっている事は得意でない事か、好きではない事なのかも?
Q11. あなたが一番影響を受けた作曲家は誰ですか?
A.
Federico Mompou
Q12. クラシック音楽以外で、あなたのお気に入りの定番の音楽は何ですか?
A.
ええっと。私のiTunesに何が入っているか見てみましょうか。
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Cafe, 沖縄民謡, Deee-lite, Holger Czukay, Sakamoto…
どれを定番、というのは難しいかもしれないですね。
Q13. インターネットがクラシック音楽の普及に何か貢献できると思いますか?
A.
著作権の観点から言えば、「たくさんの演奏をYoutubeで楽しんでね!」とは言えませんね(笑)。
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例えば、IMSLP(International Music Score Library Project) は素晴らしいです。
私たちは、膨大な数の著作権切れの音楽作品のスコアを、そこで手に入れること事ができます。
Q14. ピアニストになりたい人に向けてアドバイスがあれば。
A.
私が自分の事を”ピアニスト”と呼べるのかは分かりません。
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それはいったん置いておきましょう。
うーん、、もしあなたが本当にピアノが好きなら、たとえスポットライトを浴びていなくても、これからもずっとピアノを弾き続けてください。
結果として、あなたがピアニストになれなかったとしても、あなたが続けてきた事は、人生を良いものにするでしょう。
Q15. あなたの一番誇れるキャリアはなんですか?
A.
私は特別な人間ではありません。
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私は日常の生活を愛していいます。日常の何気ない瞬間を。
それが私の誇れる事、です。
Q16. これまで旅した中で、あなたが一番好きな場所はどこですか?
A.
毎年、夏になると慶良間諸島に出かけます。
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青く澄んだ海、美しいサンゴ礁があり、平和な風景が広がります。
しかし第二次世界大戦では、多くの人がここで殺されました。
慶良間に来るといつも、たくさんの思いが去来します。